2025 WEC Le Mans 24Hours Race

マシントラブルで3分30秒失うも、15位から8位まで追い上げる力強い走りで観客を魅了した

6月8日〜15日
サルト・サーキット(正式名称 ル・マン 24時間サーキット)
フランス、ル・マン
KESSEL RACING #57 Ferrari 296 LMGT3
Takeshi Kimura / Daniel Serra / Casper Stevenson

RACE REPORT

6月14日~15日にかけて、フランス・ル・マンのサルト・サーキット(正式名称:ル・マン24時間サーキット)で行われた2025年WEC(世界耐久選手権)の第4戦、第93回ル・マン24時間レースのLMGT3クラスに、主催者であるACO(フランス西部自動車クラブ)からの招待枠で出場した木村。7年連続でのエントリーとなり、今大会では日本人のジェントルマン・ドライバーとしてはただ一人の挑戦となった。

予選は赤旗で終了してチームによっては悲喜交々(ひきこもごも)なものとなった。レースは昨年と比べてセーフティーカーが少なく、事前に予想したよりも荒れない展開となった。

世界を代表する全カテゴリー62チーム、186名のドライバーが集う。木村の参戦するGT3クラスは24チーム72名のドライバーによって争われる。予選は木村のアタックラップ中に赤旗で終了。決勝は15位スタートから途中マシントラブルに見舞われながらも無事に完走し、シングルフィニッシュとなる8位を記録した。

TEST DAY(Sunday, June 8)

ELMSでも木村とタッグを組む僚友のダニエル・セラはブラジルのストックカーレースに参戦する為、この日に行われるテスト走行には木村とキャスパー・スティーブンソンの両名のみで参加した。このテスト走行は午前と午後の2セッションあった。

実は木村は同日に行われたリジェ・ヨーロピアン・シリーズのル・マン大会にペガサスレーシングの29号車 JSP4 にチームオーナーのジュリエン選手とプロ・アマクラスで出場。リジェシリーズの練習走行とレースの合間に連続してこのテスト走行をこなした。リジェシリーズでは無事に走り切り、クラス優勝を飾った。

話をル・マン 24時間に戻そう。午前中のセッションではキャスパー・スティーブンソンが記録した3:58.018が4番手タイム、午後は3:56.993をマークして同じく4番手タイムだった。

木村は午前のベストラップが4:00.801、4:03.303を記録。まずはル・マンのコースに体を馴染ませていく。流石の木村もこの日はリジェのレースも行いながらの連続走行とあって疲労感を感じていた。

FREE PRACTICE 1 & 2, QUALIFYING(Wednesday, June 11)

この日の走行の話をする前に前日に行われたサイン会の話を少しさせて欲しい。
今回、同行しているスタッフがル・マン市内を歩いていると多くのファンに声をかけられた。前回のELMSフランス大会でも同様の事があり、確実に木村の認知度がフランスで上がっているのはスタッフ達も肌で感じていた。そして迎えたサイン会では数多くのファンが詰めかけ、ドライバー3人がサインをする手を休めたくなるほどだった。「Takeshi!」という呼び声と共にサインを求めるファンで開始早々からごったがえす。木村も過去に経験したことのないほどの混み様に驚き、同クラスの他のピットと比べても列が長く、しかもそれが途切れなかった。やはり7年連続出場ともなると地元フランスでの認知度はかなり上がる様だ。

さて、その注目を受けた57号車のフリー走行1回目。このフリー走行の次が予選セッションとなる。今年は予選方式が変わり、ブロンズドライバーが予選を担当し、24台中12台がハイパーポール1に進出、ハイパーポール1の上位8台によってハイパーポール2でその8台のグリッド順位が決まるノックアウト方式に変更となった。木村にとって予選前の最後の走行がこのセッションという事となる。

そのフリー走行1回目。アウトラップの次の周にはフルコースイエロー(以下FCY)が導入されるものの、翌周には再び走行を開始。4周目にはセクター1でトラックリミットを取られてしまった。5周目には63号車メルセデスがマーシャルポスト3で停車した為、赤旗中断となる。ピットで給油を行い、再び走行を開始する木村。予選シュミレーション走行で記録した4:00.934をマークしてフリー走行1を終えた。チームとしては38周目を担当したダニエル・セラが3:57.794をマークして全体8番手タイムだった。

ハイパーポール1進出をかけた予選。目標は12番手以上のタイムをマークする事だ。木村は2周目にはフリー走行1回目を上回る3:59.949を記録。翌周にはピットに入り、タイヤ交換を終えて再びタイムアタックへと駆け出していく。アウトラップの翌周にはさらに3:59.092でタイムを更新。一時9番手になるも、他のライバル達もタイムを上げてきており予選突破圏外まで落ちてしまう。木村からも予選突破ラインを確認する無線が入る。この時点で12番手以上に残る為には3:58.5よりも速いタイムが求められていた。

そしてその翌周、セクター1はベストラップ、続くセクター2もアルナージュコーナーまでベストラップのタイムを刻み、この周の予想ラップは3:57.7秒台。これならハイパーポール1へ進出できる!とピットの中にいる全員が固唾を飲んでモニターを見守る中…赤旗が掲示され、残酷にもそのまま予選セッションが終了となってしまった。その結果、3:59.092が正式結果となり、ハイパーポール進出となる12番手までは0.116秒足らず15番手スタートとなった。

続くフリー走行2回目ではダニエル・セラが3:56.594を記録して全体4番手タイム。このセッションは22時から24時に行われ、全ドライバーが翌日のフリー走行4を含めて5周以上の走行が義務付けられている。各ドライバーその義務周回数をこなしながら、決勝に向けてマシンのセッティングを確認していく。

実は前回のELMSフランス戦の後、そのままポール・リカールに留まってル・マン 24時間に向けたテスト走行を行い、セッティングを探っていた。そしてそこで導き出したセッティングが功を奏していた。チームはより一層そのセッティングを煮詰めていく事にした。木村は義務付けられた周回数をこなし、決勝を想定した走行を行い、4:03.110をマーク。そして最後にキャスパー・スティーブンソンが走行を担当した。しかしここで思いもよらぬアクシデントがチームを襲う。チェッカーフラッグ後、フォードシケインで8号車ハイパーカーのトヨタと接触してしまったのだ。そして57号車は自力でピットに戻る事は叶わずこの日を終える事となってしまったのだった。

FREE PRACTICE 3 & 4FYING(Thursday, June 12)

フリー走行3回目は14:45からスタートした。前日のクラッシュからチームクルーの懸命な作業により、この走行にマシンを修理する事に成功。ここからは予定を変更してダニエル・セラが走行を担当し、クルマのセッティングを確認していく。やはり細かい調整が必要な為、入念にエンジニアとドライバーで様々なテストを行っている。元々木村が走行する予定だった時間になってもまだ足りないと見え、そのままマシンチェックに時間を費やしていく。

なにしろ本番は24時間のレースだ。ちょっとした違いやミスが結果を大きく左右する。ここは慎重に見極めていく。車両のセッティングも納得のいく仕上がりになった所で木村に交代した。木村も車両の感触を確かめながら決勝を想定した走行プログラムをこなしていく。木村は4:03.016をマーク。安定して走れているものの、日本から帯同していた専属のドクターは前週のリジェ走行からどのブロンズドライバーよりも走行時間の長い木村のコンディションを気にかけていた。

このセッションではシルバードライバーのキャスパー・スティーブンソンが3:57.372というタイムをマークして12番手で走行を終えた。

そしてハイパーポール2の後に行われたナイトセッションとなるフリー走行4。これは前日のフリー走行3で走行義務を達成出来なかったドライバーを救済する意味もあるセッションだ。その為、23:00から24:00までと最も短い時間に設定されている。ここで木村は珍しく走行を避けたいという意志表示があった。後日木村に聞くとおそらく疲れが溜まっていたのか、珍しく走行に前向きになれなかったそうだ。木村の疲労感を気にしていたドクターの予想が当たっていた。しかしチームからの求めに応える様に木村は自らの身体に鞭打って走行を行い、最終のセッションを無事に終わらせた。

DRIVERS’ PARADE(Friday, June 13)

木村にとって今年は7年連続となるル・マン 24時間の挑戦の年だ。現地での知名度も上がり、子供から大人まで「TAKESHI!」という声援と共に本当に多くのファンがサインを求めてくる。今年は後半組であり、予定より2時間遅れでのスタートとなったにも関わらず、ファンは30度を超える暑さの中、木村を待ってくれていたのだ。

ドライバー3名を乗せたクラシックカーはマシントラブルで動かなくなり、途中から歩きながら沿道のファンの声援に応えていく。その中には毎年欠かさず日本から駆けつけてくれるルーフ社(木村が創業した一棟収益不動産の売買を手掛ける企業)の顧客もいる。

かなり余裕を見て持ち合わせていたグッズも底を尽きたが、それでも木村はファンサービスを忘れない。限られた時間の中でも出来る限りファン、特に子供達へサインを行いながらパレードの終着点まで戻って行った。準備も含めてフランスへ降りたってから既に一週間が過ぎていた。この日が終わればいよいよ明日からはレースだ。

RACE(Saturday-Sunday, June 14-15)

ル・マンで上位を狙うにはラップダウンを避け、セーフティーカー(以下SC)時に広がった差を縮めていく事が肝要になる。57号車は第一走者にダニエル・セラを選択。その後木村が3スティント走行し、夜間にSCが出ればブロンズの木村に交代してブロンズドライバーの最低乗車時間である6時間を消化していく戦略だ。なるべく早くブロンズドライバーである木村の走行時間を消化し、プロによる追い上げをしていくのがチームとして狙いたい展開である。このレースではいつSCが出るのか、そしてその時間をジェントルマンドライバーの走行時間に充てて行けるかも順位、結果に大きく左右する。

前日まで30度前後の暑さに見舞われていたル・マンだが、決勝の天気は曇りで気温は22度、路面温度は27度というコンディション。ちょうど木村が到着したテストデイに近い気温となった。現地時間16:00ついに長い24時間のレースがスタートする。各チームこの24時間の為に1年間準備を重ねて来た。フォーメーションラップを終え、全車一斉に第一コーナーへ殺到していく。最も車両接触の危険が伴う瞬間だ。第一走者のダニエル・セラは15番手スタートからスタートし、他車と接触する事なく無事に走行を続ける事が出来た。

スタートから約40分。1スティントを懸命ながらも着実に走行を重ね、ダニエル・セラから木村にステアリングが託された。木村にとって7度目のル・マン 24時間をスタートする瞬間だ。木村が走行中の1時間経過時で57号車は9番手まで順位を上げた。木村は違反や接触を避け、ノーミスで無事に自分の3スティントを終え、約2時間走行し、キャスパー・スティーブンソンにバトンを託した。

しかし休息を取っていた木村へ30分も経過しない内にSCが導入される可能性があり、木村へ乗れる準備をする様に指示が出た。慌てて準備をしたものの、結果としてSCが出る事はなかった。そして予定通り3スティントを終えたキャスパー・スティーブンソンがピットに戻り、木村が元々予定されていた走行を開始。ここでも木村はノーミス、違反なしで無事に走り切り、次走者のダニエル・セラへと交代する。この時点で3時間28分の走行を終え、木村の残り走行時間は2時間32分となる。そして木村がプッシュした結果、同一周回で戻ってくる事に成功した。

あとは朝方に4スティントを消化する作戦だ。木村はそれまでは休む事ができる。簡単な食事を終え、朝方の走行に向けてしっかりと睡眠を取る事にした。例年、夜こそSCが出る場面がル・マン 24時間ではある。その為、木村は緊急で乗る時に備えてレーシングスーツのみならずシューズも履いて寝る事にした。それが後に奏功する。

夜の走行はプロドライバーに任せた。木村からバトンを繋がれたダニエル・セラからキャスパー・スティーブンソンへと順調にマシンを渡していく。しかし現地時間3:00を過ぎた頃、突如ギアが入らなくなったと無線でピットに報告が入る。すぐさまピットインするキャスパー・スティーブンソン。そしてピットで仮眠を取っていたメカニック達は蜂の巣をつついた様に右に左に動き回り、各自が受け入れ体制を整える。57号車の黄色いフェラーリが飛び込んでくる。しっかりとそれを受け止めて全員が緻密に連携をとりピットへマシンを格納し、すぐさまボディを外し、トランスミッションを点検する。原因が分かったのか再びメカニック達がパーツを持ってマシンとパーツ庫を行き来する。これでレースが終わるのではないかという恐れと共にメカニックを除くピットにいるスタッフ達は様子を見守る他ない。そして3分38秒のロスがあったものの、無事に再度コースへマシンを戻す事に成功した。2ラップダウンだが、そこから巻き返しを図るべく再びキャスパー・スティーブンソンは全力で暗闇の広がるコースへと飛び出していく。

そしてその直後、SCが導入されるアナウンスがあり、木村は叩き起こされる。レーシングシューズも履いたまま寝ていた木村はすぐさまピットへ走り寄っていく。ピットクルー3名が手伝いながら走行用の装備を整えていく。そしてキャスパー・スティーブンソンが戻ってくるその瞬間に準備を終えピットレーンに立つや否やマシンへと駆け出して行った。ロリポップが反転して木村の代名詞である黄色いフェラーリがスモークを上げながら発進した。見事なドライバーチェンジに自然と拍手が湧き起こっていた。

先程のトランスミッションのトラブルによりキャスパー・スティーブンソンはピットロードで上手く減速ができず、速度違反のペナルティを受けてしまう。木村はそのペナルティとしてドライブスルーペナルティを消化。ピットインも給油のみでタイヤは交換せずに走り続ける事になった。そしてそのスティントも無事に走り終え、ダニエル・セラに交代した。この時点で木村の残り必要な走行時間は53分である。

そしてダニエル・セラ、キャスパー・スティーブンソンと順調に走行を重ねてついに木村の最終スティントとなった。周囲はすっかり明るくなっている。

木村にとって7度目の挑戦となるル・マン 24時間の最後の2スティントが始まった。1スティントを終えて給油の為に戻ってくると右サイドミラーがボディからぶら下がっている。走行中にハイパーカーに接触されてしまったのだと言う。しかしこれを直している時間はない。チームは給油のみ済ませて再び木村を送り出した。途中、78号車レクサスがクラッシュにより後退し、8位まで浮上。そして木村に課されていた走行義務時間を消化し、無事にピットへ戻って来た。チームクルーから拍手で迎え入れられ、一人一人とハグをしてお互いの健闘を称え合った。

そして残る4時間も二人のプロが見事に走り切り、15位でスタートしたレースも8位でチェッカーフラッグを受ける事が出来た。

途中マシントラブルに見舞われながらもリタイアする事なく、シングルフィニッシュを決める事が出来た。今回ACOから実績と実力を認められて特別招待で参戦したル・マン 24時間。7年連続出場が伊達ではない安定した走りを、着実に増えている木村の海外レースファンの前で披露した。

優勝こそ叶わなかったが、またチームは一段と強くなり、必ずこの場所に戻ってくるだろう。

これからも木村、そしてKESSEL RACING 57号車の走りに注目して欲しい。