2026 WEC Le Mans 24Hours Race
一時最後尾まで後退するも10位にて完走を果たす
6月7日〜14日
サルト・サーキット(正式名称 ル・マン 24時間サーキット)
フランス、ル・マン
KESSEL RACING #57 Ferrari 296 LMGT3 Evo
Takeshi Kimura / Daniel Serra / Conrad Laursen
<RESULTS>
Race P10 (of 25) 3’55.203 D.SERRA
RACE REPORT
6月13日~14日にかけて、フランス・ル・マンのサルト・サーキット(正式名称:Circuit de la Sarthe)で行われた2026年WEC(FIA世界耐久選手権)の第4戦、第94回ル・マン24時間レースのLMGT3クラスに、KESSEL RACINGのエントリー枠で出場した木村。木村にとっては8年連続の出場、挑戦となる。
木村の乗り込む57号車フェラーリはライバル勢に比べてストレートスピードが伸びずに悩まされ、トップクラスのドライバーと競いあったレースでは一時最後尾まで後退。25台のエントリー中8台がリタイアとなるサバイバルレースで10位まで追い上げる力走を披露した。
世界を代表する3カテゴリー62台、186名のドライバーが集うル・マン24時間レース。その中で木村の参戦するLMGT3クラスは25チーム75名のドライバーによって争われた。そのレースの内容をお届けする。
TEST DAY(6月7日(日))
今回の57号車のドライバーはELMS(ヨーロピアン・ル・マン・シリーズ)でも木村とタッグを組むプラチナドライバーのダニエル・セラ、そしてシルバードライバーはELMSではライバルの51号車フェラーリでドライバーを務めるコンラッド・ラウルセンだ。実はラウルセンの父、ジョニー・ラウルセンと木村とはELMSの他、AsLMS(アジアン・ル・マン・シリーズ)やル・マン24時間でもライバル関係にあった。ライバルだったドライバーの息子と共にル・マンへ出場するとは不思議な縁だ。
テストセッションは午前と午後にそれぞれ3時間用意されている。その中で木村は午前にベストラップ4’02.330、午後に4’01.241を記録。予選シミュレーションやレースシミュレーションを行いながらコースに慣れていく。リアの挙動が安定しない為、午後はセッティングを変えて走行を実施した。プロ2人の意見も踏まえながら水曜に行われるフリー走行に向けてチームはセッティングを見直していく事になった。
FREE PRACTICE 1 & 2, QUALIFYING(6月10日(水))
この日はフリー走行1を3時間行った後に予選、そしてその後にフリー走行2を実施するスケジュールだ。つまり予選前に練習できるのはこのフリー走行1までという事になる。
フリー走行1回目。木村は予選に向けて新品タイヤを3本投入して予選シミュレーションを行う。気温18.7℃、路面温度33.3℃の中、木村は4’00.681秒をマークしてブロンズドライバーの中では19番手で走行を終えた。チームとしては38周目の走行を担当したダニエル・セラが3’56.580を記録。クラス12番手タイムでセッションを終えた。リア挙動が安定せず、チームとドライバーで引き続きセットの見直し作業を行っていく事となった。
予選は全チーム、ブロンズドライバーが担当する。15番手以上のタイムをマークできればその後のハイパーポール1へ進出できる。予選は気温18.8℃、路面温度29.2℃でスタートし、木村は2周目にはこの週末で自身最速となる3’59.806を記録すると翌周には3’59.516まで更にタイムを更新した。ここでエンジニアからピットインの指示が出た。そしてタイヤ交換を終えて再びコースへ復帰する。アウトラップの翌周にはさらに3’58.492、最後のアタックラップとなる7周目には3’58.109にタイムを更新して予選を終えた。昨年の予選タイム3’59.092を上回る記録だったが、世界を代表するブロンズドライバーが集うル・マンの中では21番手として予選を終えた。後の公式結果ではトップタイムの34号車コルベットが予選後の検査でディフューザーのストレーキが摩耗し、基準を下回っていたとして34号車は最後尾スタートとなり、57号車は20番手からのスタートとなった。
続くフリー走行2回目ではチームはリアのセッティングを見直して走行を実施。気温14.9℃、路面温度20.7℃の中、ダニエル・セラが3’56.325を記録してクラス12番手タイム。ストレートでの伸びが足りず、ユノディエールを含むストレート区間が続くセクター2でライバル勢に追いつく事ができない。このセッションは22時から24時に行われるナイトセッションだ。このナイトセッションでは全ドライバーに翌日のフリー走行4を含めて5周以上の走行が義務付けられている。各ドライバーその義務周回数をこなしながら、決勝に向けてマシンのセッティングを確認していく。
木村は義務付けられた最低周回数である5周をこなし、4’05.869をマーク。そして最後にコンラッド・ラウルセンが走行を担当して夜間の走行セッションを終えた。マシンバランスは徐々に良くなっており、チームは引き続き決勝に向けてセッティングを煮詰めて行くこととなる。
FREE PRACTICE 3 & 4(6月11日(木))
気温21.4℃、路面温度38.0℃の中、フリー走行3回目がスタートした。チームが立てたプランに従い、木村は前日の予選で使用した中古タイヤにガソリン満タンでレースシミュレーションを行う。チームはこのセッションで木村に2回の走行に分けてタイムアタックを行う事とした。1回目の走行では4’01.132、2回目の走行では4’02.746のタイムでこのセッションを終了した。このセッションでの57号車のトップタイムはダニエル・セラがクラス13番手となる3’55.203だった。
フリー走行4回目は前日のフリー走行2回目に続くナイトセッションとなる。これは前日のフリー走行2で走行義務を達成出来なかったドライバーを救済する意味もあるセッションだ。その為、23時から24時までと最も短い時間に設定されている。気温17.1℃、路面温度22.1℃の中、セッションがスタートした。夜間走行の義務は果たしている為、決勝に向けて各ドライバーで最後の車両チェックを行い、最後のフリー走行を終えた。チームの最速タイムはダニエル・セラの3’57.218でクラス15番手を記録した。
DRIVERS’ PARADE(6月12日(金))
木村にとって今年はル・マン24時間8年連続となる年だ。現地での知名度も年々上がり、他のル・マンドライバーと同様に沿道から「TAKESHI」コールと共に歓迎を受けた。
今年はルーフ社(木村が創業した一棟収益不動産の売買を手掛ける企業)とカーガイ社の全社員が応援に駆け付けた。パレードのスタート直後にドライバー紹介をするお立ち台のすぐ横には約40名の社員が用意された特別席に座り、木村には内緒で作成したという揃いの黄色い法被(ハッピ)を全員が着用して声援を送る。これには木村も「みんなの姿を見たら海外にいても一気にホームのような感じがしてきたよ!」と思わず笑みがこぼれた。
毎年パレードでは各チームから沿道に並ぶ観衆にグッズが配られる。今年は昨年よりも多くのグッズを用意したが、ルートの半分を過ぎた所ですべて配り終わってしまった。それでも沿道の観衆からは握手やハイタッチを求められ、パレードの車から降りて木村は沿道に並ぶ一人一人とハイタッチをしたりサインをしたりして応えていく。これもル・マンを象徴する1シーンだ。そしてこのパレードを終えるといよいよ翌日からはレースとなる。
RACE(6月13日(土)、14日(日))
レース当日は気温28.8℃、路面温度46.0℃とテスト走行、フリー走行時よりも気温が高い中、木村がスタートドライバーを務める事となった。チームとしてはスタートからできるだけ木村がスティントを伸ばして走る戦略を取る事となった。ブロンズドライバーに課された最低乗車時間6時間を早めに消化するのが目的だ。
そして現地時間16:00、ついにグリーンシグナルとなった。木村の後ろにはプロドライバー3名が控えている。スタート直後、接触を避けて走行した為、最後尾まで後退してしまう。その後はコンスタントに4分2秒台を刻みながら7周目、88号車フォードがピットインした事で24番手に浮上する。木村は10周目にルーティンのピットインを行い、88号車に抜き返されて25番手に後退。前を走る2号車コルベットは同じブロンズドライバーのイブラヒム王子だ。ストレートの速いコルベットに対して旋回性能で勝るフェラーリは第3セクターで迫るものの、ユノディエール以降のストレート区間で離されてしまう展開が続く。18周目に再び88号車がピットインを行い24番手に浮上すると20周目には続々と各車の2回目のピットインが始まり、木村も自身の給油とタイヤ交換のピットインを実施。翌周には23番手で復帰した。その後61号車メルセデスと92号車ポルシェはピット作業を余儀なくされ、そのまま23番手で前を先行する2号車を追う展開が続く。29周目に2号車はピットインを行い、22番手に浮上するも木村の57号車も30周目にはルーティンのピットインで23番手に戻り、再び2号車を追う展開となる。この時点で木村は3スティントをこなしているが、チームから体力はまだ持つか、との問いに「全然大丈夫」と答え、4スティント目も木村で続行する事となった。先ほどの第3スティントでは他のドライバーが1秒から2秒弱タイムが落ちてきたのに対し、木村は1秒近くタイムを上げ、4’00.786というタイムも記録する走りを見せた。ピットのタイミングで79号車メルセデスの前に出て21番手まで戻ってきたが、44周目には再び抜かれて22番手に後退してしまう。その後もミスなく走行し、このスティントではさらに4’00.446というタイムをマークしながら走り続ける。そして膠着状態のまま5スティント目に突入した。安定した走りを見せて50周目にピットインし、約3時間24分木村は走り続けた。この時点でほとんどのチームがプロドライバーを投入してきたが、57号車はブロンズの木村で走り続けた。そして22番手でダニエル・セラにステアリングを託し、その後の走行に備える為に木村は睡眠を取る事とした。
セラは3スティントを走行、80周目にシルバードライバーのラウルセンに20番手でバトンを渡した。ラウルセンはそのまま4スティントを走行し、124周で再びセラに交代した。セラは19番手から前を追う展開で4スティントを走行し、12番手まで浮上させて165周目にラウルセンに交代した。その後ラウルセンによって一時7番手まで順位を上げたものの、ストレートで伸び悩み、8番手まで後退してしまう。そして195周目にピットインを行い、木村に交代した。木村は当初伝えられていたスティント開始時間よりも早いタイミングで走行する事となり、交代の2周前に突如起こされ、慌てて準備をしてマシンに飛び乗った。コースには12番手で復帰した。
交代後、まだ目も頭も醒めないうちにマシンに乗り込んだ為、「酩酊状態で走行したようなもの」と木村自身ものちに語った通り、当然ながら安定したタイムを出す事ができない。197周目91号車ポルシェと34号車コルベットがピットインのタイミングで10番手まで上がったものの、203周目にはその91号車と34号車に加えて2号車コルベットにパスされて13番手まで後退してしまう。また、途中87号車レクサスから接触を受けてコース外に押し出される場面もありながら(のちに87号車にはドライブスルーペナルティーの裁定が下された)4スティントを終えて236周目、徐々にペースを上げたもののレースは再び膠着状態となり13番手でセラにマシンを渡す。この4スティントをもって木村に課せられた最低乗車義務の6時間を消化した。残りの時間はプロに任せ、コース上ではプロ対プロの決戦となっていく。
一進一退の攻防が続く中、255周目に91号車ポルシェがユノディエールの第1シケイン出口でウォールに接触して12番手に浮上。セーフティーカーが導入される。セーフティーカー中に69号車BMWと150号車フェラーリがピットインをして10番手に浮上する。その後269周目にラウルセンに交代し、11番手まで後退するも291周目に27号車アストンマーティンがフロントボンネットから白煙を上げて停止し、69号車もピットに入ったまま戦列を離れる事となった。これにより9番手まで浮上する。途中からエアコンが作動しなくなり、セラとラウルセンは灼熱のマシンの中でも150号車フェラーリと74号車フェラーリとのデッドヒートを繰り広げ、順位を入れ替えながら最終的には10番手フィニッシュとなり、木村の8年目のル・マン挑戦は幕を下ろした。
しかし、来年のル・マンへの挑戦はすでに始まっている。木村は現在、来年のル・マン出場を賭けたELMSで現在シリーズランキングトップに位置している。ELMSの次回レースは7月5日(日)に開催されるイモラ戦だ。ELMSのシリーズランキングの行方にも注目しながら応援してもらいたい。


